このページでは、PITY ある不幸な男のあらすじや個人的な考察をまとめています。
考察には「ネタバレも含まれている」ので、まだ本編を視聴していないという人はご注意ください。
ポーランドの静かで落ち着いた海辺の町で暮らす「弁護士」がこの物語の主人公です。
彼は、綺麗な一軒家に住み、妻や一人息子と何不自由なく暮らす彼に、突然の悲劇が襲いかかります。
愛する妻が事故により昏睡状態になってしまったのです。
悲しみに暮れながらも、眠り続ける妻を看病する彼の姿に周囲の人々は、同情し親切になっていきます。
毎朝ケーキを届けてくれる隣人に、料金を割り引いてくれるクリーニング店等、彼は周囲から優しくされていることを受け入れ、喜びすら感じるようになっていきました。
しかし、そんな日々は長くは続きません。
ある日、彼に病院から電話がかかってきました。連絡を受けた彼は急いで病院に向かい、昏睡状態から目覚めた妻と対面するのです。
周囲の人は、彼の妻が目を覚ましたことを大いに喜び、次第に以前と同じ日常へと戻っていきました。
そして、ある日、彼は気付くのです。
「周囲の人に親切にされなくなった」「同情されなくなったのは自分のせいだ」と。
再び周囲の人に優しくされるには、自分には何が足りないのか、彼は一生懸命考えます。
妻が目覚めたことを知らないクリーニング店に行った時に、店員から以前と同じように同情されたことに彼は幸せを感じてしまいます。
そして、彼は不幸になるために、これからも周りから同情してもらうために、恐ろしい計画を実行しようとするのです。
ここからは、実際にこの作品を観て感じた個人的な「考察」を語っていきたいと思います。
視聴した後に感じた「PITY ある不幸な男」の一番重要なポイントは「弁護士の狂気」でした。
序盤の「周囲の人々に同情される・親切にされるまでの流れ」と中盤以降の「同情されるにはどうすれば良いか」と考えるようになるまでの「人間が壊れていく様子」を描いている作品だったからです。
考察考察考察考察考察考察
妻が昏睡状態になってからしばらくは、悲しみに暮れる弁護士と彼を気遣う優しい周囲の人を印象付けるシーンが多かったように感じました。
映画のタイトル通り、悲しいや残念といったイメージにピッタリだとは感じましたが「サイコスリラーっぽくないな」とも感じました。
その理由は、劇中のシーンと挿入される音楽に大きな違和感があったからです。
妻が事故に遭った時には、ベートーヴェンの「交響曲第9番」が流れ、妻が目を覚ました時にはモーツァルトの「レクイエム」といったシーンと真逆の印象を与える曲が流れるんです。この映画のシーンと音楽のチグハグさの正体を知ることなく、進んでいくストーリーはかなりの不気味さをはらんでいました。
自分が不幸になる、周囲の人に同情される、親切にされることに弁護士が執着をし始めてからは、サイコスリラーとしての見どころしかありませんでした。
自宅にあるピアノの音階(調律)を狂わせるといったちょっとした行為に異様な不気味さを感じました。
もちろん、行為そのものが気味悪かったというのもありますが、弁護士を演じたヤニス・ドラコプロスの怪演によるものだと思います。
物語序盤からほとんど変わった素振りを見せず、同情されるために淡々と作業を進めていく姿は、彼にしか出せない異様な雰囲気が漂っていました。
また、妻が昏睡状態の時は夜な夜な涙を流していたのに、妻が目を覚ましてから涙を流せなくなったという点も印象的でした。
追い討ちをかけるように、催涙スプレーで無理矢理涙を流した時に弁護士が「快感」を感じていたシーンでは、完全に狂ってしまったのだと確信することも出来ました。
そこからの、再び同情される、親切にされるための異常過ぎる弁護士の行動は、多くの人がゾクゾクとした怖さを感じることが出来るはずです。
初めて今作を視聴した時は、妻が事故に遭ったことで弁護士が狂ってしまったのだと感じました。
しかし、2回目に視聴した時は「妻の事故は単なるきっかけ」で「最初から弁護士は狂っていたのかもしれない」と思うようになりました。
その方が、劇中の音楽に違和感がなかったからです。
弁護士が最初からPITYだったのか、妻の事故をきっかけで暴走をし始めたのがPITYだったのか、それとも弁護士に振り回された周りがPITYだったのか、「誰がPITYなのか」を考えさせられる作品でした。